私の毒親(母親)について

こんにちは!

HSPの性質をつよーく持つkakatoです。

 

私の実の母親について今日は書こうと思います。

毒親、と書いたのは、HSPの繊細で陰キャな私にとって、ということです。

明るく陽キャでキラキラしている色々気にしない人であれば、私の母親は厳しい、くらいだったかもしれません。

 

どうして毒親と言うのか、私なりに書きますね。

 

◯褒められたことが一度もない

 

物心ついてから、褒められたことがありません。

褒めるようなところがなかったからかもしれないですが、、、

 

私は高校まで、学校内では成績が良いほうでした。対して勉強はしていませんでしたが。

ただ成績で褒められたことはありません。全国1位になったとしても、褒めてはもらえなかったと思います。

 

小学6年のとき、歯科の全国ポスターコンクールで最優秀をとったときも、褒められませんでした。

書道で、とても早く別格(八段の上)になったときも褒めてはもらえませんでした。

 

現在まで(40歳です)母親から「すごいね〜」とか、「よくやったね」という言葉をかけてもらったことは一度もありません。

 

なので、他の人なら誰かから褒めてもらえるだろうことをしても、誰かに言ったり、見せたりすることは一切しなくなりました。

 

自己肯定感が低くなり、「私なんか」と思っちゃうことが多々あります。

 

◯苦しいことに耐えさせる

 

今まで生きてきて、本当に死にたいと思うほどつらいときが何回かありました。

 

学校で孤独で、それを出さずに苦しくても我慢し続けていましたが、勇気を持って、「学校へ行きたくない」と行ったことが一回だけありました。

 

話を聞くこともなく、「行きなさい!」とかなり怒られました。

 

習い事をやめたいときも、部活をいじめられてやめたいときも、許してもらえませんでした。

 

母親は、「苦しいことを耐えるのは当たり前」という人で、「あなたの苦しみなんて、どおってことない、私もそんなんだった!」と自分の苦しみと私の苦しみを比べるような人なのです。

 

そんな学生時代を過ごしたため、弱音を吐かない人になりました。吐かないというより、吐けない、誰にも助けてと言えない人になってしまいました。

 

社会人になって、過労死ラインを軽々越えた仕事量をこなし、5キロほど1ヶ月で痩せても、母親は全く気にしていず、私も誰にもなにも言いませんでした。

 

我慢する、頑張り続けなければならない、というのが身についてしまい、自分の力以上にやりすぎてしまうようになってしまいました。

 

◯不真面目を絶対許さない

 

高校生になり、同級生は私以外、ほとんどの子が携帯やPHSを持っていました。でも、私はそれを持つことは不真面目になることだから、と許してもらえませんでした。

 

男の子と遊ぶことも不真面目だと許さない母親でした。それでも彼氏ができて、少し遅くなったりすると、私の友達の家に何度も何度も電話し続けられました。

友達や友達のお母さんがうまく合わせてくれたこともありましたが、友達に対して恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいでした。

 

もちろん、女の子であれ、外泊は許されません。

 

バイトをはじめても、バイトの時間は把握され、帰りが10分遅くなると、通うところを探されました。

(公衆電話で電話してたところを見つけられ、怒られたこともありました。)

 

絶対に家を出たい!という一心で大学は奨学金を得て、県外で一人暮らしをしました。

 

恋愛や結婚などについて一切話したことはありません。未だに、怒られるのではないか?という不安な気持ちになるからです。

 

◯私にだけ不機嫌になる

 

母親が不機嫌になるのは、私に気に食わないことがあるときだけです。父親には絶対不機嫌になりません。

 

こっちはご機嫌とるように毎日を過ごしているのに、いきなり機嫌が悪くなり、無視をし、なにかを聞いても「知りません。」と機嫌悪いアピールのように接してきます。

 

何日かはそれが続きます。

 

家にいるときは、自分の部屋しか居場所がありませんでした。すぐ部屋にこもることをさらに嫌がられました。

 

◯ヒステリー

 

私は、小さなころからのんびりしたい人で、声を荒げたり、大きな声を出すことは嫌いだし、そういう人も苦手です。

 

でも1番近くに、ヒステリーな母親がいて、一度ヒステリーがはじまると、キンキン声で永遠と怒り止まりません。

 

自分のミスしたことや、間違えたこと、やってしまったことは棚に上げ、私の間違えやミスしたことについては、耳が痛くなるほど怒られていました。

指で耳をふさいで、声を出して母親の声が聞こえないようにする、という今思えば異様な光景でした。(それがまた母親を怒らせ、震えて小さくなっていました。)

 

未だにヒステリーのスイッチが入るときがあります。それにビクビクしながら母親と接しています。

 

 

 

 

このように、私にとっては毒親でしかない母親でした。しかし、父親がとても優しい人で(優しくないと母親とはいられないけど)、私のことを褒めてくれたり、一緒に遊びに連れて行ってくれたりしてくれました。

 

それがなかったら、大げさではなく、生きてなかったかもしれません。

 

今も、母親の機嫌を損ねないように、母親が気にいる私を演じている状態です。

母親からバカにされても、それは仕方ないんだ、と我慢しています。

 

パートナー(母親に紹介したくない)といる自分は、正反対です。

 

そんな母親から育てられたからか、私は結婚願望、子供が欲しい願望がありません。

私がなにをしても喜ばれることはないだろうし、

母親基準で喜ばれることを考える自分にゾッとしてしまいます。

 

まだまだ人生は長いのですが、この我慢はいつまで続くのか、いつまで私は本当の自分を出せないのか、耐えて、頑張り続けなければならないのか、、、、たまに絶望感で泣きます。

 

承認欲求は、母親に対してはもうありません。

小学生あたりまではありましたが、諦めました。

 

そういう早熟な私のことも、母親は嫌いでしたね。

 

 

毒親をお持ちの方。

とにかくいち早く離れることです。

学生時代は仕方ないですが、卒業したら、もう1人で生きていっていいんです。

親との縁はきれないし、付き合いも多々ありますがとにかく離れて、自分の安心できる人といてください。

 

少しでも自己肯定感をあげられる人といてくださいね。