栄養士の愚痴日記~栄養士を続けている言い訳~
こんにちは!
老人ホームで管理栄養士をして16年目のkakatoです。
栄養士の愚痴日記をそのときの気持ちのまま綴ってきました。(意味のわからないもの、自分よがりのものが多いと思います。)
ここに吐くことで、醜い自分を見つめられ、そして少し心ホッとしていられるようになっています。
栄養士という仕事について、愚痴ばかりを書いてきました。
環境、状況がいい職種ではないので、仕事内容や本来の資格の意味より、そちらでストレスがたまっていくのです。
本来は、病気を食事で未然に防げる、唯一の医療職だと思っています。
他の医療職は起きたことへの対処が仕事だけど、栄養士だけ、今から起きる嫌な病気を防ぐっていう、かなりすごい仕事だと思うんです。
ただ、起きてないことへの対処って、緊急性がないからみんな必死にはならないんだよね。だから、重要性を感じてもらえない。
私は、老人ホーム勤めなので、病気や障害を持った方を相手にしています。
これ以上状態が悪くならないように、とか、なるべく好きなものが食べられるように、とか、ひとりひとりのことを考えがら寄り添う仕事です。
最期のときを看取るという仕事でもあり、責任はとても重たいです。
でもやりがいのある仕事だと思います。
っていう風に
栄養士の仕事って、とってもいい仕事だとは思うんですけど
実際の現場では、全然そんな理想を思って続けていけないくらい、しんどい環境です。
今まで散々愚痴日記は書いてきたので、しんどい環境については、そちらを見てね。
そんな状態の中でも栄養士を続けてきた理由は、プライベートな理由からです。
24歳のときに管理栄養士として勤め始め、あまり好きになれない仕事だったので、3年くらいしたら辞めようと思っていました。でも、激務につぐ激務で心もやられてしまい、あっという間に5年が経ちました。
29歳のとき、30歳までには辞めないと!と思い、上司に「辞めようと思っています。」と言っていました。そんな矢先に病気になりました。難病で、痛みとだるさにより、ほぼ寝たきり状態になり、月々の医療費が8万円くらいかかりました。
お金がとにかく必要だったので、辞めるのをあきらめ、なんとか仕事をしていました。
32歳でとっても貧乏なパートナーと出会い、そこから今まで、私が働かないと治療費を払えない状態、家賃も払えない状態、な感じで今に至りますw
40歳を越え、もう栄養士しかできないなって思うと同時に、どこかに羽ばたきたい気持ちが強くなってきました。
今の施設に身をうずめる気持ちには全くならず、もっと自分らしく働きたい、と思うようになっています。
自分らしく、なので、栄養士でも事務員でも、はたまた他の仕事でもいいのですが、心が健康に、健やかな環境で働きたいんです。
このままここにいると、心も体も病んだままいってしまいます。
ただお金の問題は未だあるし、身体もすんなり動くわけではないので、なかなか新しい世界へ飛び立てないでいます。
ここが私の言い訳です。
結局自分で選んだ道です。難病になったのも、運命だったんだろうし、貧乏なパートナーも運命だったんだと思います。
飛び立てる準備だけはしておきたいと思います。