HSP、HSCの幼少期と母親との関係について

こんにちは!

管理栄養士歴16年目のkakatoです。

 

今回はHSC(Highly Sensitive Child)だった私の幼少期のお話しと、親との関係について書こうと思います。

 

■とにかくあらゆることを心配していた幼少期

 

とても人には変だと思われるから話せない、というようなことを悶々と考えている子供でした。ひとつのことからどんどん頭の中で考えを巡らせ、宇宙のこと、生きる死ぬということ、まで考えつくしていました。

 

友達から嫌なことを言われると、そのことで頭がいっぱいで眠れなくなり、学校へ行けなくなるほどでした。(その嫌なことは30年以上経った今でも鮮明に覚えています。)

 

どうしたら人に嫌われないか、距離を置いたらいいんだろうか、と幼いながらにとにかく考え続けました。変わった子供ですよね。

 

HSCには「4つの特徴」があります。

1.深く処理する

2.過剰に刺激を受けやすい

3.感情の反応が強く、特に共感力が強い

4.ささいな刺激を察知する

 

この4つの特徴により、HSP、HSCの人は生きづらさを感じて生きています。

 

■家庭でも安心できたことがない私

 

HSCだった私は、学校、家、どこにいても敏感で、先生、友達、親の態度や表情から様々なことを察知していました。

 

低学年の頃、些細なこと(私がダサいとか、かわいくないとか)で何名かの女子から無視されていることがありました。遊ぶ友達は別にいたので、クラスの中だけなのですが。

このことがあってから、私はさらに頭の中でいろんなことを考えるようになりました。人とは距離を置いて、目立たず、誰からも文句を言われないように注意を払って行動していました。

 

低学年でそのようなことがあってから、学校では気を張って過ごし、家でもその気持ちを持ったまま過ごしていました。

 

■母親とどう接していたか

 

今でいう、「毒親」というほどではありませんが、私の母親はヒステリーなところがありました。

そして子供に対して過度な期待、過度な見守り、過度な要求をしてくることが多々ありました。

 

母親は、言葉で言わなくても、態度や表情にすぐ出るタイプだったので、親の考えに沿うであろう「いい子」を私は演じていました。

 

学校のことで、ひとりでは抱えきれないくらい嫌なことがあって、どうしても「行きたくない」ということが数回ありました。

勇気を振り絞って「行きたくない。」と母親に言うと、聞く耳は持たず「行きなさい!」と怒られました。

高校の部活で一部からいじめられて「部活を辞めたい」と言っても、辞めることは許してくれませんでした。

 

母親はイライラをよく出す人だったので、その不機嫌な態度を敏感に感じ取ってしまい、一緒にいることが苦痛の日が多かったです。どうにかして、母親の機嫌を損ねないように、と子供心に思って、家の中でも気疲れしていました。

 

今でも母親と実家にいると、気を遣って疲れてしまいます。

 

私が中学校、高校の頃は、父親は仕事が忙しく、単身赴任の時期が長く、あまり関わりがないまま過ごしました。今になれば、その分母親が1人ですべてをしていて、大変だっただろうな、と思えます。

 

■HSCの子供に親がしてあげてほしいこと

 

HSCの子供はなかなか弱音を吐くことができません。自分より周りの人を優先するためです。少しでも弱音を言ってきたら、とにかく話を聞いてあげてほしい。

どういう自分でも受け入れてくれると思えることで、今後のHSCの人生は変わっていきます。

 

あと、親は、なるべく不機嫌さを出さないように努力してほしい。

人間なので、いろいろありますよね。毎日優しくなんてしてられないですよね。

 

でも、なるべくでよいので、出さない努力をしてほしい。不機嫌になっている親に対してHSCの子供は物凄く気を遣っています。自分の不安を解消するよりも、親の不機嫌を直そうと必死になります。(親にはわからないと思いますが)

 

 

少しでもHSCやHSPの人にとって、家の中がそのままの自分で安心できる場所であってほしいと思います。

 

次回のHSPひとり反省会は↓↓↓

 

taki1102.hatenablog.jp